2018年 05月 18日
ベビーリーフ物語 |
長文ですがお付き合いお願いします
全ては2010年から始まった
それまでは有機有機と言っていましたが田んぼではお米に除草剤だけはふっていたし、その冬の裏作では経済作物(売るため)のレタスを基準より少なめでしたが殺虫剤をふっていました、殺菌剤はやらなかった
畑では有機でやっていましたが、田んぼでは慣行農法でした
言ってみれば片方ではいい顔して裏ではとんでもないことをしていたのです
そんなことがずっとつづいていて、心が苦しくなりました
このままだとどうにかなってしまいそうな気持になりました
で、この年から畑はもちろん田んぼも有機でやろうと決めたのです
問題はそれまでやってきたレタス
経済作物だったので収入がなくなる
でも心が壊れるよりいい
なんとかなるだろうと
正解でした
やめて、ほんと気持ちが楽になり、心は晴れ晴れとして雲一つない青空に向かって叫びたい気持ちでした「やめてよかったー」
お金の心配はありましたけど何とかなるものです
面白いもので何かが終わると何かが始まるんですな
やめると同時に自然栽培がやってきて、生活に楽しさが加わりました
その年の秋からいろいろ実践しましました
翌年2011年
お付き合いのある「水の子」からベビーリーフをやってみないかと誘ってもらいました
ベビーリーフを知らないし(育て方、収益、経費など)しばらく考えさせてくださいと返事を保留
そしたら面白いことがたくさんありました
今まで参加したことがなかった認定農業者の研修、地元物産館の生産者の研修がどちらも県内の有名なベビーリーフの会社の研修になった。もちろんどちらも初めてでしたが参加しました。
今も使っている作業台ですが、近所の水産研究センターでNPOのシートラストのメンバーでアカモクという海藻の事でいったら、捨ててある大きくて丈夫そうなテーブルを見つけ、その時はベビーリーフの誘いの前だったのに「なにかのためになるかもしれん」と一度帰ったのに引き返してもらってきた、大きくて邪魔でしかないのに使う目的もないのに・・・
食堂などで見る冷蔵庫もそのタイミングで粗大ゴミに出してありました。後にも先にもその時一回きりでした。もちろんいただきました。
そして時間ばかりが過ぎてゆき、将来の収入も不安だし、自然栽培始めたばっかりでしたが葉っぱが小さいから無肥料でもできるんじゃないか?(今ではそんなことは考えていない、やはり肥料やればもっと簡単に育ちます、でも虫が来るけどね)時間はどんどんたつし「えーいやろう」と決意しました
やると決めたら、水の子の生産者仲間からいろんな支援をしてもらいました。
ハウスパイプをいただいたり、播種機ごんべいを格安でゆずってもらったり、ほんとうにお世話になりました。
始める前に除草が大変だとわかっていたので夏の間に草の種が死ぬように太陽熱処理を施してまだ暑い9月の終わりごろから種まきスタートしました
太陽熱処理はしたもの完ぺきではなくやはりベビーリーフの間から草が生えてきて、手で除草、虫による虫害もひどかったけど手で取ることも出来ずそのまま放置
10月頃に初めての収穫、今思えば大きかった「水の子」の社長にも「こらベビーじゃなか中年リーフた」と言われる始末
それより虫害がひどかったので兎に角選別がたいへん!収穫時間より選別にかかる時間が長かった、最初はひとりでやってて朝からお昼過ぎまでかかりました
選別では主に虫に喰われた穴が開いている葉っぱを捨てていました
その量が収穫した約半分!半分も捨てていました!
選別終わった販売できる量が今の五分の一か六分の一位しかなかったのに恐ろしく時間がかかっていました
ベビーリーフ一週間でわかりました
「こりゃ大変なものに手を出してしまった」と
でも水の子をはじめ取引相手がいることだし、いったんやりますと言ったのにすぐにやめるわけにはいかない。二年・・・二年したら止めようと強く強く思いました。
毎日毎日ベビーリーフの収穫選別・・・一人だしあきる、そんなときは「二年したら止めてやる」が心の支えだった
最初の一年で体重が落ちました、やせタイプなのに他人からやせたねと言われました。
葉っぱを半分も捨てるくらいだから大してお金にもならなかった
でも作業が大変なのだから一人ではやっていけない
翌年の2012年三月から今来てもらっているRちゃんにバイトできてもらいました
Rちゃんをバイトで雇いながらその労賃を稼ぐために私もよそでバイトをして稼いでいました。
とにかく二年したら止めるのだとRちゃんにも伝えて,
でも止めるまでは一番にはならなくていいから買ってもらった方に喜ばれる仕事をしようと話しました
おまじない「二年したら止める」を合言葉にほぼ毎日ベビーリーフやってきました
そしてら一年たったころからだんだん虫が少なくなってきたんです!
最初はアブラムシ、一年半たったらカタツムリがほとんどいなくなりました
人間現金なものです、虫が少なくなるとともに収益も増えて
カタツムリがいなくなったころには合言葉も忘れがちになり
Rちゃんにも「二年したら止めると言っとったばってん、もう少し続けよか」という始末、で、今に至る
その後も虫はどんどん少なくなり作業もほぼ収穫作業が一番時間がかかり、選別作業はチェックだけするような感覚の作業になりました。捨てる葉っぱはほんの少しとなり、最初の頃を思い出せば夢のような作業スピードと高い品質になりました。
量も増え取引先も増え私のベビーリーフに惚れて個人で買うには多すぎるくらい常に買い続けてくださるファンも増えました
なんで物語を書こうかと思ったのが
コアなファンの方々取引先へ今までの経緯、私の気持ちの変化などを知ってもらいたかった
特に最初から私のベビーリーフを買っていただいている取引先には私のベビーリーフを育ててもらい、支えてもらい言葉でも感謝しきれないほど感謝しています。たぶん最初の頃は袋の中に虫や草が絶対入っていたと思います、なのに私の事を知ってか知らずか(二年したら止めてやるの合言葉)クレームがゼロでした。ゼロどころかベビーリーフを始めてからの最初の夏には「平山さん、近くから送られてくるチンゲン菜は溶けて腐れるのに九州から送られてくるベビーリーフはなぜとろけないのですか?」と返事に困るうれしい話をしてくださいました。他にもたくさんのありがたい話や待遇をしてもらいましたし今もそれは進行形でこれまた感謝が尽きない取引先です。
そんな取引先なのですが、ベビーリーフをやりますと決めて水の子の事務所で前任の野菜担当の方と最初の話をしたのですが、大事な価格の設定。お互い「1円たりとも値上げしたり、値切ったりしたらこの話はなし」という条件で始まったのです。それだけこのベビーリーフの価格がお互いシビアな値段だったということになります。
ですがここにきてありがたいことに私の受け取り単価を上げてもらうことになりました!
本当にやめなくてよかった、最初の1年と半年の苦労が報われます。バイトのRちゃんにも話したら本当に喜んでくれました、一緒に苦労した方なので。
そんなこんなでベビーリーフの物語は続きます
この先どんな展開が待っているのでしょうか?こうご期待!
左から収穫途中の畝、収穫終わって種まき直前の畝、種まき終わって潅水している畝
5/17の景色
by ilanndo
| 2018-05-18 22:25
| ベビーリーフ
|
Comments(0)